千四百九十六 東日本右回り旅行記外伝
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
十一月二十八日(土)はまゆり6号
本日は三厩と金木に行く予定だったが、本編に書いたやうな欠陥があるため、計画変更を思ひたった。変更できるかどうかは、盛岡駅で30分ほどある待ち合はせ時間に掛かる。みどりの窓口で時刻表を調べると、5分後に山田線の全車指定快速が出発する。宮古から先、釜石、花巻、八戸、本八戸までの時刻も調べた。急ぎ券売機で宮古までの座席指定券を発行ののち、全席指定快速列車「はまゆり6号」に乗った。
隣の席の六十歳くらいの男性は、一人かと思ったが通路を隔てた側の比較的若い女性二人と同じグループだった。どこの駅では運転停車すると云ふので、鉄道が好きなのか話すと、会社では鉄道好きで有名で、社内の女性二人を連れて三陸鉄道の食事特別列車に乗車するさうだ。
盛岡に住むが山田線は初めてで、この列車も初めてで、しかしこの型式は何回か乗車したことがあるさうだ。リゾートしらかみに乗ったらこれと似た車両だったことを話すと、同じで、しかし売店と個室がない二両とのことだった。リソートしらかみは一編成48系があるとの説明もあり、この辺りは地元のひとが詳しい。と云ふか、私は昔の客貨車区(客車区、貨車区、運転区を含む)と客車に興味があったので、地元でも最近のことは判らない。
全国で盛岡客車区と熊本客車区だけ、駅と離れてゐた話は私がした。熊本は厳密に云へば川尻の話で、熊本駅構内の寝台車の研修はホームと並行だったが。
盛岡客車区に気動車が配置されたことがある話になり、全国で、盛岡のほかには、尾久にはつかり型の80系が配置されただけではないかと云ふと、盛岡にも貫通型の80系が配置されたこともあったさうだ。と云ふことで退屈することなく、宮古に到着した。
釜石から盛岡に到着の後、時間があるので「雪っ子」を買ふかどうか迷った。前回「雪っ子」を飲んだため、旧山田線沿岸部で疲れて椅子に座り、復旧工事でどの程度、変はったかが判らなかった。それで、今回再度旧山田線沿岸部に乗ることになった。
しかし盛岡駅で「雪っ子」を買ひ飲んだ。前回と異なり今回の感想は、どぶろくとは異なる。
別の売店で、昔は仙台鉄道管理局の館内は普通のカップ酒で、盛岡鉄道管理局館内はカップ酒が同じ値段でどぶろくだったことを話すと、今はどぶろくの免許を持つ人が少ないさうだ。説明を聞いたので260円くらいのカップ酒を買った。これはホテルで飲んだ。
十一月二十九日(日)津軽鉄道と弘南バス
津軽鉄道の五所川原駅で、待合室に行くと直営の売店がある。津軽鉄道は応援したくなる。だから津軽鉄道ストーブ酒(酒は本醸造じょっばり。180mlの瓶が独自)を買った。車掌が乗務し、物品販売をするのでストーブ列車のキーホルダー(640円)も購入した。キーホルダーは、鍵を財布に入れると小銭を出し辛いので購入しようと思ってゐた)。
金木駅に車掌募集のポスターが貼ってあった。東京で募集したら鉄オタが殺到するだらう。四週で160時間勤務、13万7900円、車内券販売手当、時間外手当等が加算。正社員ではなく、機関士免許取得を推奨し、その後は正社員になる。しかし勤務時間が長時間と短時間があり、2日勤務で2日休日。
物品販売以外に、駅に到着したら灯油を入れに行ったり掃除をしたりする。車掌のほかに、観光案内の女性も乗務した。インターネットで、2年契約だったかの起源が終了した後は、別の扱ひで乗務する記事を見たことがある。
五所河原では賃金が安いのかも知れない。だから昭和の時代に戻ったみたいに、極端な人減らしはしないのだらう。
津軽鉄道の気動車は、車掌がホームを見るときに使ふ小窓が、13年前に廃止になった鹿島鉄道の新造車とそっくりだ。車掌に訊いたが判らないと云ふので、インターネットで調べると言った。実は、10分ほどして鹿島鉄道とは違ふところに気付いた。車掌窓が津軽鉄道は最前部(最後尾)だが、鹿島鉄道は乗降口の後ろ(最後尾車では前)だ。インターネットで調べると、やはり鹿島鉄道の廃止車ではなく、新造車だった。
天気予報では、27日から29日が秋田青森両県とも、曇りときどき雨だった。だから傘を持参した。旅行開始後の毎朝の天気予報も同じだった。それなのに雨に降られたのは、屋外では五所川原駅から津軽五所川原駅まで(屋根のないのは数m)と、バスターミナル(同15m)だけだった。車中でも、わずかに降られただけだった。こんな珍しいことは初めてだ。
十一月三十日(月)長岡の「柿の種」、飲み溜め
長岡に宿泊したときに「しょうゆ」か「柿の種」のどちらかを旅行促進キャンペーンで頂けるのでどちらがいいか訊かれた。醤油は重いといけないから、柿の種にした。重くはないが、旅行かばん内がかさばった。
お礼に夕食後、近くのコンビニで千円弱の日本酒四合瓶を買った。コンビニは粗利の半分を東京に吸い上げられるから買ひたくはないのだが、夜は小売店が閉まるし、明朝は早いからやはり開いてゐない。ここで気をつけなくてはいけないのは、コンビニで売る日本酒が地元とは限らない。だから地元の酒を選んだ。僅かな失敗は、酒造は小千谷市だった。
既に夕食で二合飲んだから十分なはずだが、角館で食べた昼食に脂肪分が多かったのか、飲み足りない。判りやすく云ふと、お腹がそれほど空いてゐないとアルコールは吸収されず腸内細菌の餌になる。「アルコール税は腸内細菌が払へ!」と云ひたくなるが、買った四合のうち二合を追加で飲んだ。
次の日は大曲へ行くのだが、気付いたことは四合瓶を持ったまま行くと、旅行かばんを持つ手が疲れる。腰や膝に影響がないやう、旅行かばんは常にひじを曲げて持つからだ。そんなことがあり、秋田行きの特急の車内で、残りの二合は飲んだ。
だからこの日の夜は、一切酒を飲まなかった。経済学的に見ると、「柿の種」をもらったお礼に長岡で飲んで、大曲で飲まなかったことになる。
十二月一日(火)夕食と朝食で六百円強
角館は感じのよい街なので、昼食はコーヒー店兼洋食店でランチ(税込700円)を食べ、有料武家屋敷(350円)に入り、もう一つの武家屋敷通りで武家屋敷跡を販売展示所にしたところで、地元農家の販売だらうか透明のビニール袋に入った野菜の漬物(350円だったか)を買った。これは八戸に泊まったときの夕食と朝食で食べた。
それに反し、大曲は緊縮財政にした。スーパーで、野菜の煮物パック100円に30円引きのシールを貼ったものを二つ、さんまの甘露煮パック196円が50円引き、ロースとんかつパック178円が30円引き、干しブドウマーガリンロール6個入り168円。これに消費税で六百五十円。これを夕食と翌日の朝食に食べた。
旅行で二食650円とは、ずいぶん安く済ませたものだ。しかし栄養のバランスは整ってゐるし、腹八分目になった。
十二月五日(土)最初の計画
三日目と四日目の計画を交換した話を先日書いたが、旅行出発前にも大きな変更があった。(1)大人の休日倶楽部パスを購入し、(2)長岡、大曲、本八戸のホテルも予約した。(3)コースは、大月から富士急行で河口湖、富士山、下吉田に行ったあと、中央線、篠ノ井線、北陸新幹線、北陸本線と乗り継いで、長岡に行くことを想定した。
ところが一日目に河井継之助記念館を観るには、東京または大宮から新幹線で長岡に行かないと間に合はない。新宿から中央線快速電車で東京まで移動するか、或いは新宿から埼京線で大宮まで移動するのは、日常の通勤経路だ。旅行の途中でこんな興ざめは避けたい。
そこで富士急行は延期し、今回の旅行になった。(終)
追記十二月六日(日)金木駅待合室の爺さん
金木駅待合室で、関西から来た中年女性二人が何々温泉に行くにはどうするのか、と話すところに向かひの爺さんが解説し、その後、八甲田山の解説と、更に明治時代に青森と弘前の連隊が冬に行った話になった。
映画では高倉健が出演したと言ったので、「高倉健が出演しましたね。私も観ましたよ」と相槌を打つと、関西の二人は道案内とは別の話題になったので、会話から抜けたかったらしく、私と爺さんの会話になった。
爺さんの話は、半分しか判らなかった。語彙が異なるからだ。昔の東北訛りはまったく無かった。
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